サン・セルバンド城

サン・セルバンド城は、タホ川が作る肥沃な平原を見下ろす高台に建っています。ここは、トレド以南へ行くために必ず通らなければならなかったアルカンタラ橋の上にあるという点で、トレドの関所としても戦略的に重要な場所でした。元々イスラム教徒が作った城ですが、荒廃し放置されていたため、何度も修復されました。

クリュニー会修道院がここで活動を行っていましたが、首都奪回をはかるムラービト朝の企てに直面して逃げてしまいました。アルフォンソ6世の弟で、レオンの王サンチョ2世に仕えていたエル・シドが、弟を破り王となったアルフォンソ6世と和解する直前、ここを徹夜で死守したこともあります。一時期テンプル教団が管理していましたが、1212年のナバス・デ・トロサの戦いでカトリックが勝利した後は、関所や防衛としての役割は薄れ、だんだん忘れられていきました。その後、ペドロ2世とその異母兄弟エンリケ・デ・タラスタマラとの兄弟戦争に参戦した党派たちが占拠し、エンリケの支持者だったドン・ペドロ・テノリオ司教によって再建されることになりました。

16世紀には再び荒廃しましたが、1945年、この城の外観や周辺、中世の様式が見直され、青少年学校の宿舎として再建されることになりました。また、カスティーリャ・ラ・マンチャ大学の創立当時は学生宿舎になましたが、現在は、ユースホステルとして、多くの国の若者たちに利用されています。

この城の形は長方形で、南北に向いています。城壁は銃眼付き胸壁を具え、丸い空洞の塔が3本。そのうち1本は戦略的に非常に重要でした。中央の入口には、銃眼や石落としを持つこの塔の空間が残されており、猛々しい戦の時代の雰囲気を今に伝えています。

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